「宮古島は投資家のオモチャじゃない」
先日、このようなツイートを見かけて1000回いいねしたいほど、共感した。
今、沖縄の宮古島で土地の値段が上がっている。
多くの人が島にきてホテル建設も追いついていないそうだ。
土地を買おうと促す人がいることや家賃も上がり島の人も住めなくなっている現状も知った。
宮古島バブルだと盛り上がっているツイートがまわってきた。
なぜだが分からないけれど、私はとても悲しくなった。
その出来事から、これまであったある出来事を思い出してしまい、涙が出た。
私は石垣島出身で宮古島に住んだことはないが、沖縄の離島というので似ている部分はたくさんある。
うまく言葉にすることができるか分からないが、私の思いを書いてみようと思う。
読んでくれると嬉しいな。
「沖縄」と聞くとみんなどのような想像をするだろうか?
海が綺麗、食べ物が美味しい、などだと思う。
リゾート地で沖縄大好きという人も多いと感じる。
私は地元が大好きだ。
観光客が来てくれるのは嬉しいし、東京にいても沖縄出身と言うと誰もがいい場所だったよ、と言ってもらえる。大好きな地元を褒めてもらってとても嬉しくなる。
大学の友達も「家族旅行で沖縄行って、楽しかったよ〜!!」と自己紹介の後に話しかけてくれて仲良くなったこともある。
だけど、私には不安がある。
そんな沖縄がみんなから「リゾート地」としての認識が上がるほど、どんどん開発されていくんじゃないかと思って怖い。
守られてきたものが破壊され、価値ある文化財が壊され、島にしかいない生物が殺されていく・・
東京から来た人たちと一部の地元の人たちがまわりの反対を押し切り、新しい建物をつくり、どんどん人が増えていく。
あえてこの中で特定の事例を出さないが、私が激しく怒った出来事がいくつかあったので書いてる。
リゾート開発が進むほど、観光客が来ることでお金が地元に落ちてくことはあるはずだが、経済的な循環は、沖縄の「目に見えづらい価値」を前提として考えることができた上で成り立つべきではないだろうかと考えている。
「目に見えづらい価値」というのは、その地域の伝統的な風習であったり、文化財があることで生まれる伝統、普段はなかなか見れない生物や景色、戦争を語り継ぐために残していく重要性がある記憶の継承などだ。
一時的にそこに何かができることで人々は来るかもしれない。
莫大な利益だって生まれるかもしれないし、それができたことで何か良いことが起こる可能性もある。
新しいものができることは決して悪いことだと思わない。
古いものに縛られてるより、イノベーティブなことをしていくことは重要だと思ってる。
しかし、私は思うことがある。
一瞬で壊すことで得られることの「価値」はいったいいつまで続くのだろうか?ということだ。
自然は壊したらもう元には戻らないし、そこにしかいない生き物の住む環境を奪ったらもう生き返らない。
住む場所を追い出された人々は、もうその住み慣れた場所で生活することができなくなるのだ。
元に戻すという作業にはとてつもなく長い年数と努力が必要で、その場所が破壊されてしまったら二度とその景色を見ることができないのだ。
沖縄の価値は、誰が決めるのだろうか??
言葉が上手く、勢いでどんどん進めていく人が言ってることは、どこまで正しいのだろうか。
沖縄のことを本当に考えてるなら、立ち止まって考えることも必要ではないのかな。
政治的に進んでることの半分も沖縄県民は知らないのではないだろうか。
一部分だけ見ていると綺麗に見えていることは、裏を知ると人間の汚い感情と欲で真っ黒になっていてもう誰も止めることができなくなっている。その現象は気づいた時には手遅れになっていて、失っていくものの価値がどうかなんて考える時間もなくなっている。
知る必要性があるものを守り続けたり、残そうとする努力は大切ではないだろうか。
壊すことでの得られるものを求めることが、本当に今やるべきなのかを考えてほしいと強く思う。
何十年もその場所にいる人の声を聞いてほしいし、勢いだけで価値を分からない人たちに破壊されてくことがすごく悲しい。
きっとこのブログを読んでくれたほとんどの人はなんのことを言ってるのか分からないかもしれないが、ある人が涙を流していたのを思い出し、すごく悲しくて自分にできることはとりあえず文章にすることだと思い書いた。
沖縄はただの「もの」じゃない。
住んでる人だっているし、誰かが大事にしてる場所だっていうことも知ってほしいな。
読んでくれてありがとうございます。
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