yuyumeru-S’s blog

20歳.沖縄の石垣島出身。慶應SFCです。

おじいちゃんとの思い出

 

 

今日はおじいちゃんとの思い出を忘れないうちにブログに残すことにした。

 

 

 

数ヶ月前、おじいちゃんが突然なくなった。

 

 

 カナダに留学前の妹も東京に来ていて、妹とどこに観光に行こうか考えているところだった。

 

 

亡くなってしまったという突然夜中にきた電話で私たちは地元の沖縄へ帰ることになった。泣いてる暇もなく次の日には大急ぎで荷物を詰め、告別式があるため飛行機のチケットを取り空港へ向かった。

 

 

・・・・・・

 

 

 

地元、石垣島に着きおじいちゃんの家に向かい、お通夜に参加した。

 

おじいちゃんがこんなに突然亡くなったなんて信じられなかったけど、静かに目を閉じて動かなくなっているのを見た時、悲しみよりも私はすごくすごくたくさんの後悔をしていた。

 

 

私にはどうしてもおじいちゃんに伝えたいこと、そして聞きたいことがあったのだ。

 

 

若い頃から苦労し、会社を経営していたおじいちゃんの告別式には見たことがない数のお花がいろんな人たちや会社から届けられていた。

 

 

そして、これまでおじいちゃんにお世話になったという本当にたくさんの人たちが最後のお別れをしに来ていた。

 

泣き崩れる人たちを見ながら、わたしはおじいちゃんの様々な一面と人間性を知った。

 

・・・・

 

私が中学生の頃からおじいちゃんは歴史のことや文化、政治などについてよく話を聞いたりしていた。

 

私が高校生の頃、団体をつくり沖縄の基地問題などについて調べ始めたあたりから、自分もどのように政治活動に関わっていたかや人生観などたくさん教えてくれた。小さい頃から私のピアノの発表会やスポーツの大会を見にきてくれたり、私が企画したイベントにも参加してくれたりもしていた。私の活動が新聞に載ってるのを見るといつも意見をくれた。

 

 

亡くなる1年前、今後の夢も教えてくれた。

 

 

その時、私は話を聞いておじいちゃんといつか一緒に何かしたい。そのためにこれを2人でやらないか、という話をしようと思っていたのに結局それを伝えることはできなかった。

 

おじいちゃんは沢山の本や資料を読み込み、沖縄の琉球王朝時代からの歴史に詳しかった。自分でも家系図を作ったりもしていた。

 

 

私に話始めるといつも何時間もずっと語っていた。

 

 

ある時は、自分の親、つまりひいおばあちゃんから聞いた「戦争の話」を教えてくれた。

壕の中に避難し、みんなで集団自決しようと手榴弾が投げたのにたまたま爆発しなかったのを見て、壕の中に最年長のひいおばあちゃんが「みんな死ぬのをやめよう」と説得したことで今の私にも命が受け継がれてきたこと、沖縄戦当時の話も何度もしてくれた。

 

 

わたしにとっておじいちゃんは、ある意味で社会活動を始めたきっかけであり、考え方や共感できる部分が似ていたのでとても話をしていて楽しかった。

 

 

もっともっと大事な話を聞いておくべきだったと後悔した。

 

 

おじいちゃんの死は、わたしの中で大きな出来事だった。

いつも教えてくれる話はネットでググって出てくるようなものじゃないものばかりで貴重な話だったからだ。

 

「一緒にしたいことがある」

たった一言、私のやりたいことも伝えとけば良かったなと思っても、もう伝えることができない。

 

自分の気持ちを伝えたところで何かがあるわけではないと思うが、「今は言うタイミングじゃないな」とか「こんな夢を言うのは恥ずかしい」という感情で後悔した。

 

 

最近、私は自分の経験を文章にすることで1人でいいから誰かの役に立つことがあればいいなと思って発信することを心がけている。

 

 

もう後悔しないように、伝えたいことと自分の気持ちをちゃんと表現できるようになりたいと思う。

 

 

 

今日はおじいちゃんとの思い出をどうしてもブログに残したくて書きました。

 

読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

感想などはTwitter@miruki2141までくれると嬉しいです。