yuyumeru-S’s blog

20歳.沖縄の石垣島出身。慶應SFCです。

子育てしてる女性経営者に話を聞きたい

 

 

 

女性の経営者の方が子育てと仕事をどうやって両立しているか聞いてみたい。

 

また、パートナーも会社をしている場合、どのような役割分担だったり、日々どんな考え方で生きているのかがすごく興味ある。

 

子育てするならどちらかが休んだり、ちゃんと話し合って決めておくことも大事だと思っているが、どんなことが重要なのか全然分からないので教えてもらいたいな。

 

私のまわりはまだ10代や20代なのであまりこのような話はできない。

 

話す機会が少ないので、これから情報発信していくことでいろんな方から子育ての情報や仕事との両立について考えておくべきことやキャリアについてなど聞いてみたいと思う。

 

 

 

感想などは、

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愛のない幼少期

 

 

人は幼少期、親などから愛情を受けることができなかったら、その後の人生に大きく影響するのだと思う。

 

 

子どもの頃できなかったことや言って欲しかったことを誰かに強く求めたり、突然突拍子もないことをするのではないかと感じる。

 

 

日々誰かを激しく攻撃したり、体を売ったり、次々相手を変えて遊んだり、すぐに人間関係を切ろうとしたり、、、自分の体を傷つけることで心配してもらい、承認されたいという欲求を満たしたりするのではないかと思う。

 

 

 

中学生の頃から友達の相談を受けて思ったのが、世の中の「大人」が思ってる以上に残酷で悪魔のようだなということだ。

 

素晴らしい人だと思ってた先生でさえ、暴力や暴言で未来を奪っているようなことをしたり、自分の罪をもみ消すことをしていた。

 

 

SOSは全く届かない。

 

 

「あ~~、あの子は言ってるだけだよ笑」

 

 

死にたいと言ってる友達は自殺しそうな一歩手前のその言葉でボロボロになっていた。

 

誰も頼れない、もう無理だとやっと伝えたけれど、結局バカにされ、相手にしてもらえずにもう誰のことも信用しないと恨みと強い心の痛みとともにいろんなことを我慢していくようになるんだなと知った。

 

 

愛のない幼少期はその後の人生にとても影響する。

 

偏った恋愛観や価値観だったり、その時得られなかったいろんなものを取り戻そうとしている。

 

そんな子が1人でも減ってほしいなと思う。

 

私はただ話聞くことしかできないけれど、自分にできることは何かと考えている。

沖縄出身の大学生の叫び

 

 「宮古島は投資家のオモチャじゃない」

 

 

先日、このようなツイートを見かけて1000回いいねしたいほど、共感した。

 

今、沖縄の宮古島で土地の値段が上がっている。

多くの人が島にきてホテル建設も追いついていないそうだ。

 

土地を買おうと促す人がいることや家賃も上がり島の人も住めなくなっている現状も知った。

 

宮古島バブルだと盛り上がっているツイートがまわってきた。

 

 

 なぜだが分からないけれど、私はとても悲しくなった。

 

その出来事から、これまであったある出来事を思い出してしまい、涙が出た。

 

 

私は石垣島出身で宮古島に住んだことはないが、沖縄の離島というので似ている部分はたくさんある。

 

うまく言葉にすることができるか分からないが、私の思いを書いてみようと思う。

読んでくれると嬉しいな。

 

 

「沖縄」と聞くとみんなどのような想像をするだろうか?

 

海が綺麗、食べ物が美味しい、などだと思う。

リゾート地で沖縄大好きという人も多いと感じる。

 

私は地元が大好きだ。

 

観光客が来てくれるのは嬉しいし、東京にいても沖縄出身と言うと誰もがいい場所だったよ、と言ってもらえる。大好きな地元を褒めてもらってとても嬉しくなる。

大学の友達も「家族旅行で沖縄行って、楽しかったよ〜!!」と自己紹介の後に話しかけてくれて仲良くなったこともある。

 

だけど、私には不安がある。

 

そんな沖縄がみんなから「リゾート地」としての認識が上がるほど、どんどん開発されていくんじゃないかと思って怖い。

 

 

守られてきたものが破壊され、価値ある文化財が壊され、島にしかいない生物が殺されていく・・

東京から来た人たちと一部の地元の人たちがまわりの反対を押し切り、新しい建物をつくり、どんどん人が増えていく。

 

あえてこの中で特定の事例を出さないが、私が激しく怒った出来事がいくつかあったので書いてる。

 

リゾート開発が進むほど、観光客が来ることでお金が地元に落ちてくことはあるはずだが、経済的な循環は、沖縄の「目に見えづらい価値」を前提として考えることができた上で成り立つべきではないだろうかと考えている。

 

「目に見えづらい価値」というのは、その地域の伝統的な風習であったり、文化財があることで生まれる伝統、普段はなかなか見れない生物や景色、戦争を語り継ぐために残していく重要性がある記憶の継承などだ。

 

一時的にそこに何かができることで人々は来るかもしれない。

莫大な利益だって生まれるかもしれないし、それができたことで何か良いことが起こる可能性もある。

 

新しいものができることは決して悪いことだと思わない。

古いものに縛られてるより、イノベーティブなことをしていくことは重要だと思ってる。

 

しかし、私は思うことがある。

一瞬で壊すことで得られることの「価値」はいったいいつまで続くのだろうか?ということだ。

 

自然は壊したらもう元には戻らないし、そこにしかいない生き物の住む環境を奪ったらもう生き返らない。

 

住む場所を追い出された人々は、もうその住み慣れた場所で生活することができなくなるのだ。

元に戻すという作業にはとてつもなく長い年数と努力が必要で、その場所が破壊されてしまったら二度とその景色を見ることができないのだ。

 

 

沖縄の価値は、誰が決めるのだろうか??

 

 

言葉が上手く、勢いでどんどん進めていく人が言ってることは、どこまで正しいのだろうか。

 

沖縄のことを本当に考えてるなら、立ち止まって考えることも必要ではないのかな。

政治的に進んでることの半分も沖縄県民は知らないのではないだろうか。

 

一部分だけ見ていると綺麗に見えていることは、裏を知ると人間の汚い感情と欲で真っ黒になっていてもう誰も止めることができなくなっている。その現象は気づいた時には手遅れになっていて、失っていくものの価値がどうかなんて考える時間もなくなっている。

 

 

知る必要性があるものを守り続けたり、残そうとする努力は大切ではないだろうか。

 

壊すことでの得られるものを求めることが、本当に今やるべきなのかを考えてほしいと強く思う。

 

何十年もその場所にいる人の声を聞いてほしいし、勢いだけで価値を分からない人たちに破壊されてくことがすごく悲しい。

 

きっとこのブログを読んでくれたほとんどの人はなんのことを言ってるのか分からないかもしれないが、ある人が涙を流していたのを思い出し、すごく悲しくて自分にできることはとりあえず文章にすることだと思い書いた。

 

沖縄はただの「もの」じゃない。

住んでる人だっているし、誰かが大事にしてる場所だっていうことも知ってほしいな。

 

 

 

読んでくれてありがとうございます。

 

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地方の高校生が上京するべき理由

 

 

こんにちは。

ゆゆめるです。

 

 

今日は、地方に住んでる子が上京した方がいい理由について書きます。

もし進学など迷っている人がいたら参考にしてもらえると嬉しいです。

 

 

私は高3まで人口が5万人ぐらいの島に住んでいました。

電車もなければ映画館もローソンもなく、スタバも市街地から離れた空港にだけ、どこかに出かけるとたいてい知り合いに会うような環境に住んでいました。

 

 

私の住んでいた島では、18歳、つまり高校卒業と同時にほとんどの人が島を離れます。

そのため、早い段階で将来どうするかを決断している人が多かったように感じます。

 

 

 

私はとにかく早く島を出たかったので小学生ぐらいの頃から上京したいと思っていました。

 

けれど、「沖縄にいること」が良いことだと多くの人が認識としてあったような気がします。家族にも会えたり、経済的な面もあると思うのですが一番は「安心だから」という理由があることを感じていました。

 

沖縄にいながらできることは山ほどあると思います。

魅力的な人たちや良い環境もあると思っているので沖縄の中にいることが悪いことだとは思っていません。

だけど、東京の環境がどれだけ素晴らしいかも早く知りたかったなと思いました。

 

 

ここから先は、私が上京して心から良かったと思うことを書きます。

 

・会いたい人にすぐに会いに行ける

本を出したりTVで見ていて気になっていた人などのイベントに行き、話を聞くことができます。東京を拠点に活動している人は多いので自分が興味を持った人にも会える可能性が確実に高くなります。

 

・とにかく情報が早い

地元にいたら入ってこなかった情報が早いスピードで入ってくるようになります。自分の興味分野がはっきりしてる人ほど最高だと思います。

 

・書籍が多い

地方の図書館や本屋さんは読みたい本が置いてなかったり、発売されて3週間以上待たなきゃ買えなかったり取り寄せ不可などがありますが、本屋さんも図書館もすごい数あるのでわざわざAmazonで取り寄せたりしなくても手にとって見れてすぐに買うことができるので読みたいものが短期間で手に入るようになりました。本が好きな人には幸せな場所が多く存在します。

 

・音楽や芸術に触れることができる

美術館や展示会、好きなアーティストの個展など見に行くことができます。

ライブや演劇なども気軽に行けるようになるのは本当に魅力だと感じます。

 

・優秀な人が多い

様々な分野の優秀な人たちがとても多く、議論しているのを聞くだけでもとても学びになります。ぶっ飛んだ生き方をしている人もいるので自分の考えとは全然違う考え方を知れるので知的好奇心が高い人ほど地方から早く出ると確実に世界が何十倍も広がると感じてます。

 

・地元のことを客観的に見れるようになる

一度外に出ることによって、地元の問題だったりずっと当たり前だと思っていたことは実は我慢しなくても良かったことなんだと気づけたり、いろんな選択肢が見れるようになると感じます。また、私は地元の中で問題となっていることはどのように見えているのか報道の違いやまわりの人たちの捉え方の違いがはっきり分かるようになるのでとても驚きました。

 

・まわりの目を気にしなくてすむ

狭い田舎だとどこへ行くにも誰かに会うことを考えなければいけなかったけど、東京だと誰も知り合いに会わずに遊べるし趣味を堪能できるので精神的に楽になります。

 

・美味しいものがたくさんある

とにかくオシャレで美味しいレストラン、カフェなどがたくさんあり、食への価値観が変わりました。沖縄のご飯も大好きですが、こんなにいろんな食べ物が世の中に存在していたのかと感動しました。

 

・自分のタイプの人とデートができる→彼氏ができる

地元で変人と見られていましたが、上京してからこんな私でも面白いと思ってくれる人が意外と多くてモテ期がきてたくさんデートに誘われました。世の中にはいろんな人がいるんだなと感激しました。自分と価値観が合う人とデートしたり、恋人もできやすくなると思います。

 

・1人暮らしでメンタル強くなる

これまで親が当たり前にしてくれたご飯を作ったり洗濯や掃除など生きてく上で基本的なことを自分で全部一気にやらなきゃいけなくなるので、思っている以上にメンタルが鍛えられました。親へ感謝するようになりました。もしひどく体調を崩しても近くに家族はいないので自分で頑張らなきゃいけなくなります。沖縄ののんびりした雰囲気じゃないなか、必死で生きていくので多少のトラブルには動揺しなくなります。

 

 

田舎に住んでいたからこそ、すごく違いを感じたことについて軽くまとめました。

関東に住んでしてる人からすると当たり前すぎるかもしれませんが、何もない地方に住んでる子ほど上京することは圧倒的に良いことがあると感じてます。

 

「自分の地元から出たことない人のアドバイス」なんか絶対に参考にせずに、大変なことや親の理解も必要だとは思いますが、自分がやりたいことがあるなら東京で過ごしてみるという選択をしてみてほしいです。

 

小さな田舎の、大きな呪縛によって、自分の可能性を狭める道を自分の意思ではないのに仕方なく選んでしまう人が減ってほしいなと思います。

 

 

誰かの役に立つと嬉しいです。

 

読んでくださりありがとうございます。

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LGBTの話でいつも思うこと

 

 

こんにちは。

ゆゆめるです。

 

 

今日は「LGBT」の話題が出るたびに思うことを書きます。

  

 

私は、よくこの話題になるといろんな人とちょっとした喧嘩になってしまうことがある。その理由を考えてみた話をまとめました。

 

 

 

私には、レズやバイ、ゲイの友達がたくさんいる。

別に彼らのことを変わってるとも思わないし、それを聞いても特別だとも感じない。あ、そうなんだ、ぐらいにしか思わない。

 

 

だけど、最初は違った。

 

 

今日は、性別や恋愛対象について何も知らずにいた頃の話を書く。

(本人に許可はもらってます)

 

 

数年前、女友達と観光でホテルに泊まった時のことだ。

 

その子と徹夜で朝まで語ろうと盛り上がり、定番の恋バナになった。

 

 

「どんな男の人がタイプ?笑」

「好きな人いる??」

 

とお互いにどんどん話していくことになった。

私はその当時好きだった人の話や「告白しても絶対振られちゃう」「でもかっこよくて好きなの」など2人できゃあきゃあ言いながら、たくさん買ったお菓子と甘いミルクティーを飲みながら盛り上がっていた。

 

 

その子とはよくご飯行ったり、まだガラケーだった時にも毎日メールするほどの仲でわりと普段からいろんな話をしていた。

 

 

どんな男の人と付き合いたい、告白しようか迷ってるの。とひたすら語る私の話を聞きながら、ずっと私に質問したり聞き役にまわってくれるので

 

「私の話はいいから〇〇ちゃんの恋バナも聞きたい!!!笑」

 

と言った。

 

すると彼女はびっくりするようなことをさらっと話した。

 

 

「私はいつも女の子にしか告白されない」

 

「男の人へ恋愛感情があるか分からない」

 

 

 

私はすごく驚いた。

 

 

何人もの同性に告白されてる人の話なんて、聞いたことはこれまで一度もなかったからだ。

 

どんな男の人が好きかそのまま話始めると思っていた。

 

 

彼女はよくラブレターなどをもらい「好きです、付き合ってください」と呼び出され女の子に告白されると話してくれた。

 

だけど、「自分は女の子が好きなわけでもないし、かと言って男性が好きかと言われたら恋愛感情を持ったことない」と言った。だから毎回断っている、と言っていた。

 

 

これまで同性から告白された数を聞くとかなり多くて、異性からそんなに告白されたこともない私はとても衝撃を受けた。彼女が普段いるコミュニティは女の子が多いわけでもなく、男の人もたくさんいるので異性からはなくて同性からこんなにモテることがとてもすごいと純粋に思った。

 

 

「男の人じゃなくて、女性が好きなの??」

 

LGBTやレズの言葉の意味さえ知らなかった当時の私は思ったことをそのまま聞いた。

 

 

すると、彼女は少しの間、考えてこう言った

 

「分からない。好きかなと思ったけど違うんじゃないかな」

 

私は混乱した。

男性が好きでもないし、女性が好きでもない。

恋愛感情を持ったことがないという彼女が不思議だった。

 

 

私の頭の中は、クエッションでいっぱいになっていた。

 

 

 

・・・・・・

 

それから、私は「同性が好き」「男性も女性もどっちも好き」「付き合いたいのは女の子だけど性的対象は男性」など様々な人に会うようになった。

 

 

「この話を言うのはのはじめてなの」

 

カミングアウトのようなことも何度かあり、最初のような衝撃はあまり受けなくなった。本人がすごくオープンにしている人もいれば、まわりの偏見の目があるので絶対バレないように隠してる人もいた。

 

 

いろんな人に出会い、

別に性別なんてどうでもいいと思うようになった。

その子の考えや価値観、人としてどうかが重要だとすごく思うようになった。

 

 

それと同時に、人と話す時、特に恋愛の話や性別の話になった時はできるだけ気をつけるようにしたり、言葉を選ぶようになった。

 

 

見た目が女性だからと言って男性が好きだという前提で話したら、傷つく人もいることを知ったからだ。けれど、何人かで話すと思わずそれを忘れてしまうこともあり、あの言い方は同性が好きだった場合イヤな思いをしたかもと後悔することがあった。

 

 

同性婚に関するニュースやLGBTに対する活動をしている人の発信をよく見るようになった。今の法制度や世の中の古いシステムのせいで悲しい思いをしている人がたくさんいるのを知った。自分はレズやゲイだけど、わざわざそんな話題出すなと怒ってる人もいることも分かった。

 

 

・・・・・・

 

 

異性が恋愛対象の人と話している時にたまにそんな話題が出ると、男性だとゲイを嫌う人もいたり、同性が好きだなんてキモいとさらっと言う人も多いことに気づいた。

 

 

私はその度に、なぜか苦しくなった。

 

「あなたと話している私が同性が恋愛対象だとすると、傷つく可能性考えてないの???」

と思った。そして本気で親にも言えなくて悩んでる友達の顔を思い出して思わず、なんでそんな風に思うの?と聞いてしまうようになった。

 

 

何人かはこう言った。

 

「俺はLGBTとかほんとにどうでもいい」

「ゲイに好かれて嫌なことがあった」

「当事者でもないくせに、理解してあげてるみたいに見えて君はなんかうざい」

 

などだ。

 

 

私は、心が痛くなった。

こんなにも激しく嫌悪感を表さなくてもいいのではないかと思った。

 

 

私は「理解してあげたい」とも「何かしてあげたい」と思っているわけではない。

 

 

友達のことを思うと激しい言葉が自分の胸に刺さって苦しい。

 

 

外見が「男性」でも心は「女性」かもしれない。

相手が異性が好きだという前提で話すことをやめてみて、気づいたことは意外と多かった。

 

 

 

どうまとめていいか分からなかったのだけど、LGBTに関する話題が出るといつも嫌な気持ちになっている自分がいたので文章にしてみました。

 

 

みなさんの意見や経験なども知りたいです。

読んでくださりありがとうございます。

 

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カウンセリング受ける前に知りたかったこと

 

こんにちは。

ゆゆめるです。

 

 

今日はカウンセリングを受ける前に知りたかったことについて書きます。

私は、中学生の時からカウンセリングを利用しています。

その経験から気づいたことをまとめます。

 

 

「カウンセリングなんて一生受けない」

 

と思っている人は多いと思いますが、誰もがある日突然何かショックな出来事に巻き込まれ、ひどいトラウマを抱えてしまう可能性はあるし、自分じゃなくても家族や恋人など、大切にしている人が心のケアを必要とする場合があります。

 

 

その時、1人の力で乗り越えるのはとても難しいのでどこかのカウンセリングサービスを利用することになると思います。けれど、何も知らないで受けに行くとただでさえ苦しいのにせっかく受けてもイヤな思いすることがあります。そんな人が1人でも減るといいなと思い、書くことにしました。

ただ、今回は、「一番つらい時期でとにかく誰かに話さなきゃ死にそう」という人向けでなくちょっと落ち着いて考えられる余裕がある段階の時に役に立つと思ったことです。

 

 

それについて書く前に、多くの人の認識として「カウンセリング=病んでる人が受けるもの」というイメージが強い人が多いと思います。ですが、全くそんなことはなく、どんな人でも日常的に受けていいものだと感じています。

 特に学生だと、スクールカウンセラーに無料で相談できるのでどんどん利用していくのはとても良いことだと思います。

ちょっとしたモヤモヤや悩みを話すために使うだけでも大丈夫です。

 

 

ただ話したいだけで利用するのはもちろんオススメですが、頻繁にカウンセリングの時間を取れなかったり、お金を払い続けて受けるのが大変な人も多いと思うので、そんな人は受ける前に事前にいくつか自分の中で決めておく必要があると私は感じてます。

 

 

そのポイントとして、

・どういうカウンセラーさんに相談するかをしっかり考える

どこのサービスのどんな人に相談するかは調べて受けるのはとても大事です。

カウンセラーさんの自己紹介などを読み、自分と相性が良さそう、自分の悩みを話しやすそうかなど確認するのがいいと思います。また、専門資格やどこで勉強したかを重要視するなら経歴のところを見て選ぶようにするといいなと思います。

 

・話すことを軽く決めておく

感情がぐちゃぐちゃになっている場合、時系列もバラバラで自分でも何を言っているか分からない状態で話し続けることがあります。プロなのでどんな状態でも聞いてくれるし、ゆっくり話していいよと言ってくれますが、あっという間に時間はすぎるので話せたことは良かったのに、終わった後もやもやすることがあります。カウンセリングのために時間が取れないのにどうしても受けたい人ほど自分の中で整理してから行くとより効果があると感じます。

 

・どうなりたいか考えて伝える

こんな出来事があったことで、自分がどういう状態で、苦しんでいる

→そのためにこんな解決策を考えてやってみたがダメだった

→とにかく今の状況を変えたい良くしたい

など、自分の中で整理したことをいったん伝えてみることは話がスムーズにでき自分の負担になるのが少なくなるなと感じました。

事前に紙に書いてまとめて持って行って見せるのも良かったです。

 

・カウンセラーさんの性別について

特に女性だと、相手が男の人だと、たとえカウンセラーさんでも言いづらいことがあるかもしれません。私は以前いつもの自分なら男の人に言うのをためらうことをカウンセラーだし大丈夫だと思って話すと、やっぱり途中で大きな抵抗があり、すごくネガティブな気持ちになりました。女性のカウンセラーさんだと同じ内容を落ち着いて話せました。

相談内容によってはカウンセラーさんの性別も気にした方がいいなと感じました。

 

 

ここに書いたのは私がこれまでたくさん受けて気づいたことの一部なのですが、人によって感じ方は違うと思うので参考程度にしてもらえると嬉しいです。

カウンセリングは何回も受けたほうがいいと思うけれど、なかなかすぐに時間を取れない人は対処療法かもしれないけど集中して1回でも受けることで良くなると思います。

 

過去のトラウマに苦しんだりしている人もオススメです。

 

私自身がカウンセリングによって救われたことがあるので、今回はこのテーマで書きました!他の人のエピソードなどがあれば知りたいです。

 

 

読んでくださりありがとうございます。

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沖縄の高校のリアル

 

 

私には地元の自分が通っていた高校に対してずっと違和感があった。

 

 

今日はそのことについて書こうと思う。

 

 

数年前の高校生の頃のことを今さら書くのは理由がある。

当時は絶対に言えなかった。 もし、自分の考えをはっきり言ってたら、私の居場所は確実になくなっていたと思っている。

 

 

今頃になって、発信する必要性に気づく出来事が最近あったので、書くことにした。

 

 

 

 私の地元には高校が3つしかない。

大学や専門学校へ進学を目指す普通科の高校、商業高校、農業高校だ。

 

中3の時に、あまりやりたいことが決まってなくても、とりあえず大学に行きたいなと思っている人はほとんどの場合、普通科の高校へ進学する。

 

私もその1人で、どこの大学に行きたいなど何も決まってなかったが、そのまま受験し進学した。

 

 

そこの学校には「発展クラス」という受験の成績順で入るクラスが存在する。

各中学のトップの子たちはたいていそのクラスを入るのを目指して受験する。そのクラスにいることは地元でのステータスのようなものだった。例えば、地元で初めて会う人に「発展クラスです」というと素晴らしいねと褒められるし、病院に行ったときですらそうだった。医者の態度が良くなったりした。

 

 

レベルの高い進学校が島にはないため、そのクラスが唯一勉強できる環境が一番整っていると思い、みんな目指す感じだ。

 

 

わたしも何も考えずにそのクラスを当たり前のように目指し、そのまま入った。

 

 

違和感は、最初からだった

 

まず、入学前のオリエンテーションで気持ちが悪くなった。

受験勉強から解放されて、そのクラスに入れたことは純粋に嬉しかったが、オリエンテーションの空気は「君たちは優秀で、選ばれてここにきた」と言うかのような雰囲気で高校受験が終わったばかりだったが、大学受験の勉強の話が始まった。

 

 

その時の私は何も知らない、ただまわりに合わせてそれが正しいと思い込むようにしていた高校生だった。

 

オリエンテーションの時に感じたそのちょっとした違和感は、その後もずっと続くことになった。

 

 

そのクラスには学校の中で受験指導経験が多くあったり、ベテランの先生たちが各教科を担当し、教える。

 

 

いい先生たちばかりだったと思う。

時給も出てないはずなのに、7時30分から始まる授業をし、大量のプリントをコピーし、生徒のために頑張ってる人たちが多かった。

 

 

けれど、「受験のために」「国公立を目指そう」「琉球大学(沖縄の大学)を目指そう」という話ばかりが1年生の頃から繰り返し言っていたことはすごく疑問だった。沖縄の大学に行くことが悪いことではないが、もっと外に出ることの可能性も伝えることも必要じゃないかと感じた。

 

 

なんの目的でなぜ大学に行くかなんてまるで重要じゃないかのように、次々にある模試や毎日のようにあるミニテストの点数ばかりを気にする生活が始まった。

 

 

そもそも大学に行くことが正義であるというような考え方自体が私にはよく分からなかった。そのクラスは大学受験をするという前提だったから、進学する意味なんて考えてる人は来るなよというスタンスなのかなと感じた。

 

 

ことあるごとに先生たちは言った。

「君たちならできるでしょ。他のクラスとは違う」

 「受験、受験受験・・・」

 

日々そんな話を聞くと洗脳みたいになっていたと思う。

それに影響を受けてなのか、生徒も、他のクラスの人のことをバカにしたり、笑うことで優越感を感じるのが当たり前になってしまう部分を感じた。いじめではないけど、誰か1人をちょっとしたことで、いじって笑う雰囲気もあって気分が悪かった。

 

 

すごくダサいと思った。

 

沖縄の小さな島で優秀でも、世界から見たらあまりに小さすぎるのになぜここまで一つのクラスを特別扱いし、目的も見えないまま受験に駆り立てるんだろうかと思った。

 

 

毎日まいにち違和感を感じるようになった。

私以外のクラスメイトにはもしかするとちゃんと目的があり、夢があったかもしれない。だけど、私には苦しみながら真っ暗な道を歩いてる感じだった。授業中、いつも今すぐ教室を走って逃げ出したくなっていたぐらい、もやもやする場面はいっぱいあった。空気が重すぎて息ができなくなった。

 

 

この環境対して何かがおかしいと心の中で叫んでいたけど、その時は正体が分からなかった。でもここは私の居場所じゃないということだけははっきり分かった。唯一の救いは、担任の先生はとてもいい先生で私の違和感をすごく聞いてくれたし、ちゃんと私に向き合ってくれたことだった。

 

 

毎日のように心が掻き乱されるので、授業中に他のことを考えて心を別の空間に持っていくイメージをしなければダメになると思うほどだった。早く別の場所に、できるならば島からも出たいと思った。よく分からないことに必死になって、自分の個性を押し殺してクラスやテストの点数で人を判断する場所から出て行くことを私はとにかく一番求めていた。

 

 

 

2年生、3年生は別のクラスで過ごした。

そこは「一般クラス」と呼ばれていた。

 

一般クラスは、何もかもが違っていた。

本当に同じ学校なのかと思うほどだった。

 

 

 簡単に言えば、日常が動物園だった。

まるで小学校のようにうるさかった。

先生が大声で怒鳴ってもいつまでも静かにならない教室。

 

自習という名で放置し、あきらかに雑な授業。

球技大会の練習のためにテスト前だろうが居残りするのも当たり前。

学校内の行事のコンテストでクラス1位を目標を掲げ、休みの日も練習。

 

 

びっくりすることばかりだった。

 

そして、一般クラスの子たちには先生たちは何も期待してないことを知った。

 

よく先生たちは「発展の子たちはこの問題は数ヶ月前に終わらせてる」など彼らがどれだけ進んでて君たちは劣ってるんだよ、ということを感じる発言を繰り返した。

受験に関する情報は発展クラスに共有されていることは、一般クラスにほとんど持ってこないし、授業の質や言葉の全てから圧倒的な差別をしていることを感じた。

 

 

ここでも絶望した。

 

 

私は両方のクラスを経験をしたから、扱いがどれだけ違うかがはっきり分かった。

ただ、何も縛ってくる人はいないので一般クラスの方が自由に生きれた。

 

 

一般クラスの子たちはやがてこう言うようになった。

 

「俺たちにはどうせできない」

「比べるのが間違っている」

「発展の人たちは天才」

「あいつらはガリ勉すぎて怖い」

 

自虐し、発展クラスみたいに頑張るのはかっこ悪いよな、という空気ができるのだ。

 

一般クラスにはとても個性豊かな人がたくさんいた。

ユニークな考えを持ってる子もいたし、発展に入れるレベルなのに家庭の事情で入ってない子もいた。先生たちは発展クラスを特別扱いしているが、どう考えてもポテンシャル高すぎる子が多いのに何を見てるんだろうかと感じた。

 

どちらのクラスも大人の無意識の洗脳によって、生徒たちがネガティブな行動を生み出していると感じた。

 

私は高2からいろんな人に会い、団体をつくり活動したり、全国に友達ができた。

それを見た発展クラスの子たちは自分のクラスを去った私のことを馬鹿にした。

 

「そんなことしてたら大学いけないよww

 

見下していることは手に取るように感じた。

 

 

地元の高校は、「ワンランク上の進路実現」という目標が掲げられてる。

 

けれど、高い目標は否定されるし、やりたいことを平気な顔で嘘をつき、潰そうとしたり、教師として本当に許されないんじゃないこと思うことを言う先生もいた。親身になって聞いてくれた先生もたくさんいたが。

 

 

私がここまで否定的な話を書いたのには理由がある。

地元がよくなっていく一番の鍵が、「高校」だと思っているからだ。

あの高校の教育だと何十年も島の様々な問題は改善しないと思っている。

だから、地元の教育関係の人が何か考えてくれるといいなと思い、書いた。

 

 

私が感じたことは同じ学校に通っていた同級生にとって共感できることはないかもしれない。実際、このようなことを卒業した時にツイートするとかなりの怒りのメッセージがきた。なぜ怒るかについては、コーチングを受けて理由を考えた。理由の1つとして、きっと私と同じクラスだった人は、自分自身や大好きなクラスを否定されたと思い怒るんだろうと思う。また、私が感じていることが変だと思っているのだと感じる。今回も、私のことを嫌いになる人は増えるのは想定内で友達を失うんじゃないかと思っていて怖い。

 

 

私は卒業後、東京に来て、そして慶應の関連の授業や教育系のイベントを見に行ったり政府や企業で教育に携わる人から話を聞いて分かったことがある。地元より100倍ぐらいいい環境で、世界的に有名な教育に関わっている人の講演会など、お金を出して聞きに行ったり研修を受けたりして確信した。

 

 

あの時思ってた違和感は間違ってなかったということだ。

 

私がおかしいのではなく、高校が全然時代に追いついてなかったのだ。

 

個性を認めてそれぞれを個人として見るのでなく、他人を見下したり、できないという思い込みをさせることが当たり前になってしまう環境自体が問題であるということに気がついた。

 

 

私は、地元の出身校へ通う子たちへの強い呪縛が早くなくなってほしいと思っている。

 

 沖縄の小さな島の中の世界で完結してしまい、可能性の上限を決めていることがどれだけいろんな子たちの未来を狭めているかに気づいた。逆に1人でも「君ならできるよ」と言ってくれる先生がいるだけで大きな力になる。

 

 

悩んでる子がいたらすぐに高校やめて、島から出ることも選択肢に入れるべきだと思う。 N高だったり自分の生き方に合うことを早い段階で決断するのも良いと感じる。

 

 

 

ここには書けないがあまりに腹が立つ出来事があったので、勢いで自分の経験と当時強く感じていたことを書いた。

 

 

 

 

長文読んでくれてありがとうございます。

 

感想などは@miruki2141までお願いします!!